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[29346] 道重さゆみのブルマ姿を眺めて 
2013/3/9 (土) 00:27:51 ディオニュソス
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You Tubeでモーニング娘。の道重さゆみの、当時13歳のブルマ姿を眺めていると、やはりブルマは十代前半までの、発育途上の少女に履かせるべきウエアであることが実感できる。中学生の、まだ発達していない少女のブルマ姿は可憐、という以外の表現は不適切で、「少女らしさ」を演出する最良の履きものだ、思えるのだが、それを徒に幼児性欲と結びつけるのがブルマを廃絶に追い込んだものだ。
思うに就学以前の少女に含羞恥、なんて感情は存在しない筈で、幼年期からブルマを履いていれば恥ずかしい、なんて感情は湧かない筈だ。それが思春期を経て初めて「性的含羞」からブルマを恥ずかしがる心理が発達するものである。だから小さいときからブルマを履いていれば、「恥ずかしい」感情の萌芽は遅くなるものだ。ブルセラ排斥の華やかりし時代は、小学生の履いていたブルマを、強制的に教師や父兄が取り上げてハーパンに変えた、学校も少なくなかった。「履く当事者の意思」ではなく、「周囲の意志」で無理やりブルマを「いやらしいもの」と決めつけてしまったのが問題だ。小学生にそんな意識がある筈はない、ものだからね。
小学生からブルマに慣れていれば、中学生でもブルマを履き続けるだろうし、そうすれば高校でも、という連鎖が起こる帰結に繋がるのだ。それを「高校生の、大人の体」を持った女の言い分を真に受けて、小中生の子供にまで適用したのが間違いだ。「小学生や中学生にはブルマの着用を、強制でなくても認める」とすれば、性的発育の未熟で羞恥心のない子供はブルマを履いたかもわからん、何も全員統一でブルマ以外のものに変える必要はなかったものだ。
やはり十代前半までは、ブルマを履かせれば、「ブルマの価値・運動しやすさ」に当事者が気付いたかも知れぬものを、無理やり芽を摘んでしまった、のがブルセラの罪の大きいところ、である。現在23歳の道重の、十年前のブルマ姿を見て、「昔はこんなに可愛いかったのだ」という、褒め方をすれば、「今だってまだそんなに変わっていない」と、無理してブルマを履いて見せようとするのが女というものだ。そういう可能性を放棄してしまった、「ブルマ廃絶」の動きは罪深い、ものだ。
しかし13歳の道重はブスだのう。現在からは想像がつかんが、「そうではない」言うんなら今からでも遅くないからブルマ履いて見せなさい、言いたくなる。

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